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| 漫画を制作し印刷するまで、業界で使われる専門用語の知識は必須です。打ち合わせの段階から完成まで、専門用語は頻繁に使われます。そうした用語を詳しく解説いたします。 ぜひお役立て下さい。 |
| 貸本漫画 |
| 項目 |
| 1.「貸本漫画」とは 2.「貸本漫画」の誕生 3.「貸本漫画」の隆盛 4.貸本の料金 5.「貸本漫画」のスタイル 6.「貸本漫画」の漫画家たち 7.「貸本漫画」の衰退 |
| ●「貸本漫画」とは 大戦後、日本各地で貸本用に制作された漫画本がありました。多くは単行本の形で制作されていました。このような漫画を総称して「貸本漫画」と呼んでいます。 項目に戻る ●「貸本漫画」の誕生 戦後に子供たちの娯楽が少なかった時代に、漫画本を買うより安いお金で借りて読めるように、との目的から「貸本漫画」は生まれました。 1948(昭和23)年、神戸で誕生した「ろまん文庫」が起源とされています。1953(昭和23)年には貸本漫画も流通するようになりました。 当初、貸本屋に並ぶ本は一般に流通している古本や古雑誌でしたが、やがて貸本出版社が制作した漫画単行本が並ぶようになりました。 項目に戻る ●「貸本漫画」の隆盛 その後、「貸本漫画」は大人気となりました。1950年代末から1960年代には「貸本漫画」の最盛期を迎えました。専門の貸本書店だけでなく、子供たちが利用する駄菓子店や文具店でも貸本を扱うようになりました。 ちなみに、東京都だけで3000店ほどあったようです。全国ではおよそ30000店の店舗があったと推測されます。 項目に戻る ●貸本の料金 1950年代末で、入会金20円、貸出料が2泊3日で10〜20円だったようです。当時の漫画単行本の価格が100〜200円でしたから、借りて読むには手ごろな価格でした。 項目に戻る ●「貸本漫画」のスタイル 貸本漫画単行本の判型はB6判とA5判の上製本が主流でした。貸本漫画に劇画が登場するようになると、多くの貸本漫画はA5判の並製本で制作されるようになりました。 項目に戻る ●「貸本漫画」の漫画家たち 貸本漫画には、戦前から漫画を描いていたベテラン漫画家たちが描いていました。また、赤本や紙芝居などを描いていた作家たちも、貸本漫画家として登用されました。さらに貸本漫画家としてデビューする新人作家もいました。貸本漫画の隆盛期に多くの漫画家たちが登場していたのです。 しかし、劇画が登場し台頭してくると、しだいに「貸本漫画」の人気が下火となっていきました。その後、テレビが登場することで、人々の娯楽の対象が「貸本漫画」から離れていったのです。 項目に戻る ●「貸本漫画」の衰退 劇画やテレビの台頭だけでなく、漫画出版のスタイルが変わってきました。月刊漫画雑誌が登場し、やがて週刊漫画雑誌へと人気が移っていったのです。「少年画報」「ぼくら」「少年クラブ」「冒険王」「日の丸」「少年」などの月刊誌から、「週刊少年マガジン」「週刊少年サンデー」などが登場すると、「貸本漫画」はほとんど衰退してしまいました。 貸本漫画を中心に制作していた出版社は倒産してしまったのです。多くの漫画家たちも淘汰されていきました。それまでの貸本漫画の世界から雑誌連載のスタイルに転身できた漫画家だけが生き残りました。 項目に戻る |
| 参考ページ→ 著作権 原作 主人公 ヒーロー ヒロイン 劇画 シリアス 書き下ろし ファンタジー 劇画工房 紙芝居 漫画集団 黄金バット 貸本漫画 七色仮面 アラーの使者 ぼくら 漫画集団 冒険王 |
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