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| 漫画を制作し印刷するまで、業界で使われる専門用語の知識は必須です。打ち合わせの段階から完成まで、専門用語は頻繁に使われます。そうした用語を詳しく解説いたします。 ぜひお役立て下さい。 |
| 曲亭馬琴 |
| 項目 |
| 1.曲亭馬琴とは 2.「馬琴」の号と放蕩生活 3.戯作者としてスタート 4.「曲亭馬琴」という戯号 5.本格的に創作活動開始 6.「南総里見八犬伝」執筆 7.「南総里見八犬伝」とは |
| ●曲亭馬琴とは 曲亭馬琴は、江戸時代後期に活躍した戯作者です。「南総里見八犬伝」の著者として有名です。 本名は「滝沢興邦」、号は「著作堂主人」といいました。1767(明和4)年、滝沢運兵衛興義と門夫妻の5男として生まれました。父は江戸深川の旗本松平信成の用人でした。 馬琴は幼少時から絵草紙などを読んでいました。9歳の時に父が亡くなり、長兄が17歳で滝沢家の家督を継ぎました。 しかし、主家である松平家に俸禄を半減させられたために、家督を継いだ兄は松平家を去り戸田家に仕えてしまいました。そして、次男の兄はすでに他家に養子に出ていたため、滝沢家の家督は10歳だった馬琴が継ぐことになったのです。 さらに、母と妹も長兄と共に戸田家に移ったため、松平家に残ったのは馬琴ひとりだったのです。 松平家の残った馬琴は、主君の孫八十五郎に小姓として使えました。ところが、馬琴も14歳になると松平家を出て、戸田家に仕える長兄や母と同居するようになりました。 馬琴は主君の孫・八十五郎(やそごろう)に小姓として仕えるが、癇症の八十五郎との生活に耐えかね、1780(安永9)年、14歳の時に松平家を出て母や長兄と同居した。 項目に戻る ●「馬琴」の号と放蕩生活 1781(天明元)年、馬琴は元服して「佐七郎興邦」と名乗り、越谷吾山に師事して俳諧を深めていきました。17歳になると吾山撰の句集「東海藻」に句を詠み、初めて「馬琴」の号を用いました。21歳時には俳文集「俳諧古文庫」を編集し、さらに医術を学び儒学も学びました。 長兄の紹介で戸田家に仕えたのですが、長続きしませんでした。馬琴は放蕩無頼の生活を続けるようになりました。そのため、母の臨終の際には所在もわからず、長兄たちが奔走してようやく馬琴を見つけて間に合ったと言われています。 項目に戻る ●戯作者としてスタート 1790(寛政2)年、馬琴は山東京伝の元に親しく出入りするようになりました。そして、翌年正月、江戸で流行っていた壬生狂言を題材にして「京伝門人大栄山人」という名で黄表紙を刊行しました。こうして滝沢馬琴は戯作者としてのスタートを切ったのです。 ところが、山東京伝は幕府から「手鎖の刑」を科せられてしまい、戯作を控えることになったのです。 「手鎖の刑」というのは、軽微な犯罪に対する未決勾留および刑罰のひとつです。受刑者の両手首に手錠をかけ、一定期間自宅で謹慎させるというものでした。 やがて、馬琴は京伝の草双子本「実語教幼稚講釈」の代作を手がけました。これが蔦屋重三郎の目に留まり、馬琴は蔦屋の手代として働くことになったのです。 項目に戻る ●「曲亭馬琴」という戯号 「曲亭」とは漢書に「巴陵曲亭の陽に楽しむ」と記された山の名です。また「馬琴」は「十訓抄」に収録された小野篁の「索婦詞」の一節「才馬卿に非ずして、琴を弾くとも能はじ」から引用した、馬琴本人が話しています。 項目に戻る ●本格的に創作活動開始 30歳ごろから馬琴は本格的に創作活動を始めました。蔦屋重三郎の耕書堂から読本「高尾船字文」を刊行し、これが馬琴の出世作となりました。1802(享和2)年になると、馬琴は関西に旅をして、関西の文人たちと交流を深めていきました。旅行記「羇旅漫録」を書いています。 その後、数々の俳書や読本を刊行し、1814(文化11)年、「南総里見八犬伝」肇輯(じょうしゅう)を刊行しました。 項目に戻る ●「南総里見八犬伝」執筆 曲亭馬琴の代表作となる「南総里見八犬伝」の執筆が始まりました。完成は1842(天保13)年ですから、じつに28年の歳月を要しました。 「南総里見八犬伝」が刊行されると、馬琴は「回外剰筆」において読者に自らの失明を明かしました。1839(天保10)年、73歳の馬琴は失明して執筆継続が不可能となっていたのです。そのため、息子宗伯の妻・お路が口述筆記をしていたのです。 項目に戻る ●「南総里見八犬伝」とは 「南総里見八犬伝」は、戦国時代の里見氏の活躍を題材にした長編小説です。結城の戦いに敗れた里見義実が、安房へ落ち延びる場面から始まります。 安房国滝田の城主となった里見義実は、隣国の館山城主安西景連の攻撃を受けました。愛犬「八房」の働きで景連を討ち取ったのですが、功績として八房は義実の娘「伏姫」を連れて洞窟に籠ってしまいました。娘を取り戻すために鉄砲で八房を撃ち殺しますが、姫は負傷し自害してしまいます。 そのとき、姫の護身の数珠から8つの珠が飛び散りました。「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の霊珠です。やがてその珠を持って八犬士が誕生してきます。この後、八犬士の大活躍が始まります。 項目に戻る |
| 参考ページ→ 鳥羽僧正 浮世絵 河鍋暁斎 十返舎一九 安藤広重 狩野派 歌川国芳 山東京伝 菱川師宣 黄表紙 蔦屋重三郎 琳派 曲亭馬琴 朋誠堂喜三二 平賀源内 |
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