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漫画制作で使われる用語の説明


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漫画制作の用語「あ行」
漫画を制作し印刷するまで、業界で使われる専門用語の知識は必須です。打ち合わせの段階から完成まで、専門用語は頻繁に使われます。そうした用語を詳しく解説いたします。
ぜひお役立て下さい。
朋誠堂喜三二
項目
1.朋誠堂喜三二とは
2.江戸留守居役としての働き
3.吉原通い
4.黄表紙の絶版
●朋誠堂喜三二とは
朋誠堂喜三二は、本名を平沢常富といって、江戸時代中期から後期にかけて活躍した戯作者です。出羽国久保田藩の江戸留守居を務める武士でしたが、戯作者や狂言師としても活動していました。

1735(享保20)年、朋誠堂喜三二は旗本の家臣西村平六の3男として江戸で生まれ、14歳の時に母のいとこの久保田藩士平沢常房の養子となりました。

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●江戸留守居役としての働き
朋誠堂喜三二こと平沢常富は、久保田藩江戸留守居役の筆頭となり江戸藩邸を切り盛りする役職にありました。当時、久保田藩は隣の亀田藩との藩境を巡って紛争していました。40年あまり続いた紛争でしたが、平沢は無事この問題を解決したのです。

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●吉原通い
当時の吉原は様々な情報の集まる社交場でもありました。平沢は藩の役職柄、情報収集目的もあって吉原に通っていました。もっとも、平沢は自分を色男だと自称していたようなので、別の目的もあったのでしょう。

そうした傍ら、平沢は黄表紙にたくさんの文書を寄稿し、多くのヒット作を発表しました。このころは、田沼意次執政の時代でした。

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●黄表紙の絶版
1787(天明8)年、恋川春町が松平定信の文武奨励策、いわゆる寛政の改革を風刺した黄表紙「鸚鵡返文武二道」を刊行しました。しかし、幕府により絶版命令が下されました。同様に、朋誠堂喜三二の「文武二道万石通」や唐来参和の「天下一面鏡梅鉢」なども絶版となったのです。

これ以降、朋誠堂喜三二は黄表紙への寄稿を辞し、もっぱら狂歌作りに没頭しました。朋誠堂喜三二こと平沢が時事物を作品としていることで、幕府に目を付けられかねないと考えた久保田藩は、平沢を国元秋田へ異動を命じていたようです。

どうやら松平定信が自邸で久保田藩主佐竹義和に会ったときに、平沢常富が黄表紙に寄稿する才は優れているが、大名家の家老として必要な才能ではない、と言ったそうです。藩主義和は定信の言を無視できず、平沢を国元秋田に移動させたと思われます。

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参考ページ→
浮世絵
十返舎一九
河鍋暁斎
岡本一平
安藤広重
北沢楽天
江の島鎌倉長短旅行
鳥羽僧正
菱川師宣
山東京伝
黄表紙
蔦屋重三郎
狩野派
見返り美人図
曲亭馬琴
朋誠堂喜三二
歌川国芳
平賀源内


恋川春町

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