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漫画制作で使われる業界用語を知っておくと何かと便利です。


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漫画制作の用語「か行」
漫画を制作し印刷するまで、業界で使われる専門用語の知識は必須です。打ち合わせの段階から完成まで、専門用語は頻繁に使われます。そうした用語を詳しく解説いたします。
ぜひお役立て下さい。
北沢楽天
項目
1.北沢楽天について
2.英字新聞社に入社
3.アメリカンコミックの影響
4.「漫画」という用語の普及
●北沢楽天について
北沢楽天は明治から昭和にかけて政治風刺漫画や風俗漫画で活躍した漫画家です。主に、「時事漫画」や「東京パック」に作品を掲載していました。

北沢楽天は、1876(明治9)年に東京市神田区駿河台で生まれました。現在の千代田区駿河台です。実家は大宮宿の問屋名主で、御伝馬役や紀州徳川家の鷹羽本陣御鳥見役を務めていました。

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●英字新聞社に入社
1895年、北沢楽天は横浜の週刊英字新聞「ボックス・オブ・キュリオス」社に入社しました。そこで同紙の漫画欄を担当していたのが、オーストラリア出身の漫画家フランク・ナンキベルでした。

楽天はナンキベルから漫画を学びました。そしてナンキベルが日本を去ると、楽天は彼の後継者として同新聞の漫画を担当することになったのです。北沢楽天は漫画家としてのスタートしたのです。

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●アメリカンコミックの影響
1899年、楽天は時事新報に「支那の粟餅」を発表し、1902年からは時事新報の日曜版漫画欄に「田吾作と杢兵衛」や「灰殻木戸郎の失敗」「茶目と凸坊」などを掲載しました。これらの作品は、ダークスやアウトコールト、オッパーなどのアメリカのコミックストリップ作家の影響を強く受けていました。

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●「漫画」という用語の普及
現在では「漫画」という用語が一般化していますが、「漫画」という用語を最初に使ったのは今泉一瓢であり、北沢楽天が使うことで「漫画」が普及したと思われます。

ちなみに、今泉一瓢は西洋の「カートゥーン」の訳語として「漫画」を使い、楽天は西洋の「コミック」の訳語として「漫画」を使いました。

その後の日本漫画の発展を考えれば、一瓢と楽天の「漫画」という用語は日本漫画出発の起点になったように思えます。

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参考ページ→
脚注
鳥羽僧正
河鍋暁斎
岡本一平
浮世絵
北沢楽天
江の島鎌倉長短旅行
十返舎一九
安藤広重
狩野派
タンクタンクロー
冒険ダン吉
山東京伝
樺島勝一
菱川師宣
黄表紙
のらくろ
少年倶楽部
山川惣治
平賀源内

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