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漫画制作で使われる用語の説明


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漫画制作の用語「あ行」
漫画を制作し印刷するまで、業界で使われる専門用語の知識は必須です。打ち合わせの段階から完成まで、専門用語は頻繁に使われます。そうした用語を詳しく解説いたします。
ぜひお役立て下さい。
蔦屋重三郎
項目
1.吉原で生まれる
2.吉原で本屋を営む
3.「雛形若菜の初模様」シリーズの刊行
4.日本橋に進出
●吉原で生まれる
蔦屋重三郎は、江戸時代中期から後期にかけて活動した版元です。1750(寛延3)年2月13日、遊郭街のあった吉原で生まれました。父は尾張の丸山重助、母は津与といったそうです。

7歳の時に父母と別れた重三郎は、商家の喜多川氏の養子となったようです。そして、名を喜多川柯理(からまる)といいました。通称は「蔦重」、号は「蔦屋」、耕書堂などで版元として活躍しました。

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●吉原で本屋を営む
1773(安永2)年、重三郎は吉原五十間道に面した「蔦屋次郎兵衛店」を間借りし、「耕書堂」という本屋を営むようになりました。初めは、鱗形屋孫兵衛らが出版していた吉原細見の卸しや小売りを行っていました。この頃から、平賀源内との関わりがあったようです。

1774(安永3)年に北尾重政を絵師に起用して「一目千本」を刊行すると、恋川春町や山東京伝、曲亭馬琴、喜多川歌麿、葛飾北斎、東洲斎写楽、朋誠堂喜三二など、多くの作家たちの著作刊行に携わっていました。

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●「雛形若菜の初模様」シリーズの刊行
同年、老舗の版元だった西村屋与八と共同で礒田湖龍斎の「雛形若菜の初模様」シリーズを刊行しました。これが大判錦絵での遊女絵の先駆けとなったのです。描かれた遊女たちはデビューなどに合わせて選定されたようです。これは、出版業と吉原を熟知する重三郎ならではの企画でした。とても豪華な造りだったようです。

1776(安永5)年には、山崎屋金兵衛と一緒に「青楼美人合姿鏡」を出版しました。「青楼美人合姿鏡」は北尾重政と勝川春章を起用した彩色摺絵本でした。吉原にある13の妓楼で有名な68人の遊女を、色鮮やかに描いたものでした。

その後もたくさんの出版を手掛けていき、蔦屋重三郎は一線級の版元として認知されるようになったのです。

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●日本橋に進出
そして1783(天明3)年9月、蔦屋重三郎は日本橋の通油町の丸屋小兵衛の店を買い上げ、日本橋に進出したのです。吉原の店を手代の徳二郎に任せ、日本橋の耕書堂を本拠とし大成功しました。

曲亭馬琴が「近世物之本江戸作者部類」の中で重三郎について述べています。
「世の中に吉原で遊んで財産を失う者は多いが、吉原から出てきた者で大商人として成功を収める者はなかなかいない」

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参考ページ→
浮世絵
十返舎一九
河鍋暁斎
岡本一平
安藤広重
狩野派
江の島鎌倉長短旅行
歌川国芳
山東京伝
黄表紙
蔦屋重三郎
菱川師宣
琳派
見返り美人図
曲亭馬琴
朋誠堂喜三二
平賀源内
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