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漫画制作で使われる業界用語を知っておくと何かと便利です。

漫画制作で使われる用語の説明


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漫画制作の用語「あ行」
漫画を制作し印刷するまで、業界で使われる専門用語の知識は必須です。打ち合わせの段階から完成まで、専門用語は頻繁に使われます。そうした用語を詳しく解説いたします。
ぜひお役立て下さい。
岡本一平
項目
1.岡本一平とは
2.岡本かの子との出会い
3.朝日新聞で挿絵担当
4.一平塾主宰
5.世界一周の旅
6.破天荒な漫画家
●岡本一平
岡本一平は漫画家として有名ですが、ご家族も当人以上に有名です。妻は歌人の岡本かの子であり、長男は大阪万博で太陽の塔を制作した芸術家の岡本太郎です。

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●岡本かの子との出会い
1886(明治19)年6月11日に北海道函館区汐見町に生まれました。東京美術学校西洋画科で藤島武二に師事しました。この時、同級生中井金三の仲介で大貫カノ(岡本かの子)と知り合ったのです。

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●朝日新聞で挿絵担当
1910(明治43)年に美術学校を卒業すると、帝国劇場で舞台美術の仕事に携わっていました。やがて夏目漱石から漫画の才能を認められると、朝日新聞に連載中の正宗白鳥の小説「生霊」で挿絵を担当していた挿絵画家の代筆を務めました。その年、岡本一平は朝日新聞社に入社しました。

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●一平塾主宰
その後、同新聞や雑誌などで漫画を描き、その漫画に解説文を付け加えた「漫画漫文」という岡本独自のスタイルを確立したのです。そして、「一平塾」という漫画家の養成所を主宰しました。一平塾からは、後に政治風刺漫画の大家となる近藤日出造や杉浦幸雄、清水崑らが育っていきました。

そして1921(大正10)年、東京朝日新聞にストーリー漫画「人の一生」の連載をスタートさせました。

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●世界一周の旅
1922年(大正11年)3月、岡本は世界一周の旅に出発しました。パリでは当地で油絵を学んでいた藤田嗣治に会いました。1929(昭和4)年12月には、朝日新聞特派員としてロンドン軍縮会議の取材に出発しました。

それにしても同行のメンバーが異質でした。妻かの子と長男太郎を伴い、さらに妻かの子の愛人である恒松安夫と新田亀三まで伴って渡欧したのです。しかも太郎をパリに残したまま、なんと2年3か月の間に9か国を巡行して帰国したのでした。

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●破天荒な漫画家
現在多くの漫画家がおりますが、岡本一平ほど破天荒でぶっ飛んだ漫画家は知りません。しかも、大正から昭和にかけての時代にです。岡本一家は漫画の世界を地で行くような家族でした。

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